2025/01/25 17:00
難波美緒
【奈良古代史にみる絆】(vol.4)侶(とも)を失った悲しみを酒で癒す-長屋王邸
『天皇との絆で訪ねる古代史―日本古代のLGBTQ!?』(日本橋出版、2024)の著者で日本歴史文化ジェンダー研究所代表の難波美緒が、古代史より「絆」をひもとき、奈良に関連するエピソードを紹介するシリーズのエピソード4。
長屋王邸模型。奈文研提供。
長屋王邸は、平城京内では数少ない貴族の邸跡地と推定できる場所だ。奈良時代の平城京左京三条二坊は、大型商業施設の建設に伴う発掘で大量の木簡が発見され話題となったが、施工の都合で、大急ぎでの発掘となったとか。
この場所が長屋王の邸であったことが確定されるのに必要な根拠は、単に木簡に「長屋王」を意味する文字があるだけでなく、長屋王宛のものと、長屋王が誰かにあてたものの双方がないと、ここが長屋王邸であったとはいえない。単に発掘しただけではなく、そこにきちんと邸跡であることを示す木簡がないと学問的に認められない苦労が…実はたくさんある。
他にもたくさんの木簡が見つかっていて、研究者の間では二条大路木簡と呼ばれる木簡群なのだが、絆を示すものとして紹介したいものは、なんと漢詩がまるまる書かれている。
平城宮跡資料館の常設展でレプリカを見ることができ、たまに「地下の正倉院展」という秋に行われる特別展でも展示される。右は木簡の裏。いずれも奈文研木簡庫より。
「山東山南落葉錦
巌上巌下白雲深
独対他郷菊花酒
破涙漸慰失侶心」
侶(とも)を失った悲しさが、菊花を浮かべた酒を飲んで流した涙によって、ようやく慰められたという内容の漢詩である。
発掘の際にSD5100と名付けられた溝から出土したもので、平仄(ひょうそく)という発音による分類(各行最後の漢字の発音の母音が共通するという漢詩のルール)から、七言古詩と考えられている。
「失侶」は「伴侶の死」ともされるが、「侶」は「とも」や「同志」という意味もあると考えると、実は「読み手」と「侶」の性別はどちらとも解釈できる。
長屋王は無実の罪で誣告(ぶこく)され、反論をせずに自刃を選ぶという最期を遂げている。それだけでなく妻の吉備内親王や子供達もみな亡くなるという壮絶さである。彼らが罪を犯したのではなく、無実だったということはいくつかの状況証拠から推測されている。
中でも、長屋王の変の9年後、 長屋王に仕えていた大伴小虫が、長屋王の密告者(中臣宮処連東人)と勤務の合間に碁をしていた際に口論となって、斬り殺したという記述があり、これも無実の一つの根拠とされたりもする。かつての主君の悪口でも言われたのか、仇討計画を立てていたのか…。
長屋王邸の位置。奈文研パンフレットを元に、著者が貴族邸を追加したもの。
発掘調査からは、長屋王の変の後、比較的すぐに邸は皇后宮となり、その後も奈良時代だけで二度は変遷があったことが分かっている。都の中心地(一等地)だから当然といえば当然かもしれないが、事件の記憶をなるべく早く消し去りたい政権の思惑もあったかもしれない。
ちなみに、長屋王の屋敷地と分かっている場所は実はもう一か所ある(左京一条十五・十六坊)。詳しくは参考文献を確認してほしい。
参考文献:『天皇との絆で訪ねる古代史―日本古代のLGBTQ⁉』(日本橋出版、2024)
『続日本紀』天平元年二月辛未【しんび】条(十日):長屋王の変
『続日本紀』天平十年七月丙子【へいし】条(十日):大友小虫が中臣宮処連東人を剣で殺した事件
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