2024/08/07 17:05
難波美緒
【奈良古代史にみる絆】(vol.1)「同じ部屋に住んでいました」―元興寺の智光と頼光
『天皇との絆で訪ねる古代史―日本古代のLGBTQ!?』(日本橋出版、2024)の著者で日本歴史文化ジェンダー研究所代表の難波美緒が、古代史より「絆」をひもとき、奈良に関連するエピソードを紹介するシリーズ。
元興寺の智光と頼光
ならまちの元興寺は、古代瓦で有名な観光名所だろうか。お盆の時期には桔梗も美しい。
現在残っている伽藍は、かつての数分の一に過ぎないが、現在の元興寺極楽坊(がんごうじごくらくぼう)を再建したとされる僧侶二人の絆の逸話を紹介しよう。
元興寺の桔梗 撮影:難波美緒
彼らの名前は、智光(ちこう)と頼光(らいこう)といって、元興寺の中興(ちゅうこう)の祖とされる奈良時代の後期の僧侶たちである。「同門同室」というから、同じ部屋で同僚のような関係で過ごした事が分かる。元興寺極楽坊の本堂には、今も智光と頼光が対のように並んで祀られている。
その後、頼光が智光より先に亡くなった。共に過ごした年月を思い、「涙の落つること雨のごとし」と、涙を雨のように流していた智光が、その後に見た夢の中で、頼光が極楽浄土にいたのだ。ここに生まれ変わったのかと問う智光に頼光が手をつないで阿弥陀如来(あみだにょらい)の前に連れていき、阿弥陀如来は「この世界の美しさ(荘厳)を眺めよ」と智光に告げる。「夢、覚(さめ)て思うに、その有様(ありさま)忘られず、涙、下ること数行、止めんとすれども絶えず」と、目が覚めても忘れられず、智光は涙を止めることができなかった…と、かなり具体的な描写が、『日本往生極楽記(にほんおうじょうごくらくき)』にある。その後、 智光がこの夢の中の阿弥陀浄土を絵(智光曼荼羅)に描かせ、極楽坊でみずからも往生したという。
元興寺極楽坊(右奥の建物。屋根の赤い瓦は古代から使用していると伝わる) 撮影:難波美緒
この智光曼荼羅も、元興寺極楽坊で見ることができる。曼荼羅の下部には池が描かれ、そこに描かれる僧侶二人が、智光と頼光をイメージして描かれているのはないかと解説される。
ちなみに、智光は和銅二年(709)~天平十九年(747)ないし、宝亀年間(770~781)に生きたとされる。奈良時代の元興寺は都心の一等地でもある。そんなところでもお坊さん同士の男同士の絆が存在した…。そんなことを考えながら、元興寺を訪れるのも一興かもしれない。
《参考文献》
『天皇との絆で訪ねる古代史 ―日本古代のLGBTQ!?』(日本橋出版、2024)
『日本往生極楽記(にほんおうじょうごくらくき)』建久巡礼記(けんきゅうじゅんれいき)元興寺条(がんごうじじょう)
元興寺の地蔵会万燈供養。智光曼荼羅の前に地蔵菩薩を安置して行燈会という法要が行われる 撮影:難波美緒
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