子育てコラム生活
2022/12/05 10:00
ぱーぷるmirai編集部

【子育てコラム】子育てとジェンダー「“申し訳なさ”は必要か」


子育てしやすい社会の実現を目指して活動する「Alright Baby」プロジェクト 代表の岩城です。

子育て中のモヤモヤをジェンダー視点で見つめるコラムを連載させていただいております。

子育てしやすい社会へ、をコンセプトに2017年から取り組んでいる「Alright Baby」というプロジェクト。公共の交通機関などで赤ちゃんが泣いてしまうことやベビーカーを使うことに対して、赤ちゃん連れの保護者さんが申し訳なく感じなくていいように「大丈夫だよ!」の気持ちを可視化するためにスタートしたものです。

あれから5年。赤ちゃんの泣き声やベビーカーに対する攻撃的な言動は減って来たかと思いきや・・・未だにSNS上でもことあるごとに論争となります。

先日も、双子ベビーカーでバスに乗れなかったと発信した有名人ママが総攻撃にあっていたのですが、その中には「助けてもらって当たり前と思うな」という批判がありました。

この件に限らずですが、赤ちゃんの泣き声やベビーカーの使用については、このように「許容してもらえることを当然と思うな」といった意見が目立ちます。「申し訳なさそうにするならまだしも」とか「せめて必死であやしているなら」というような枕詞がついた上で「手助けしようとも思えるんだけど」と続きます。

赤ちゃんが泣くことは仕方ないしコントロールできない。ベビーカーを使う必要がある人が使う。そんな当たり前のことですら、何か周りへの「申し訳なさ」を見える形で表明されなければ許容できない、損している気分になるのだとすれば、それはそちら側に問題があるのでは?と思います。





とりわけこういった眼差しは、父親よりも母親の方へ強く注がれます(父親がベビーカーを蹴られたとか、赤ちゃんを泣き止ませられなくて怒鳴られたとか、あまり聞かないですよね)。母親が申し訳なさそうにしていないと気に入らない、というのは、一体どこからくる感情なのでしょうか。女性はケアする存在として周囲の要求によりよく適応し、より協力的でいる、あるいはそのように演じるべきだというジェンダーステレオタイプが影響していないでしょうか。

私自身もそうですが、子どもを産めば子どものお世話が必要になることはある程度覚悟しています。しかし産んでみて驚いたのは、赤ちゃんの泣き声やベビーカーの使用に関して「申し訳なさそうにするならまだしも」なんてことを言う大人の感情までお世話までせねばならんということです。おったまげですよ、おったまげ(二重に古いわ)。

他の人と同じように、無表情でスンと立っているだけではむしろ不快感を与えてしまうなんて。これもいわば、女性に偏りがちな感情労働の一つと言えるのではないでしょうか。

勿論「すみません」とか「ありがとう」の気持ちを表現してもらえば気持ちいいし、そういったコミュニケーションの方が理想的かもしれません。しかし気持ちをどのように表現するかは個人差がありますし、そんな余裕がないほど子育てに疲れ果てているパターンもあります。見返りなんて求めなくても、助けを必要としている人を当然に助ける世の中の方がよほど気持ちいいと思うのです。誰かを当たり前に助ける社会は、自分が当たり前に助けてもらえる社会です。

一体なんのために母親からの「申し訳なさ」なんてものを欲しているのか。少し向き合ってみるべき感情かもしれません。






《コラム執筆者》
Alright Baby 代表 岩城はるみ


高校教諭を7年務め、自身の第2子出産を機に退職。
その後、子育てに関わる事業を立ち上げる。

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