2020/12/31 00:00
ぱ〜ぷるmama

【子育てコラム】母の願い
今回は姑、桐山良子さんのお話です。
大正14年、4人姉妹の長女生まれる。
家庭はまずまず。経済的には恵まれていて、それなりに教育も受けられたようです。
賢い人でした。
若いときは京都で働いていて、結婚のために奈良に帰って来ました。
結婚相手はすでに決まっていて、後継ぎのために婿養子を迎えました。
結婚してたくさんの山を耕して、柿の木を植えました。
男の子2人を出産しましたが、長男を育てるときは母乳が出なかったため、ヤギの乳で育てたと言っていました。
私が結婚した当時はまだ元気で、柿山に出て現役でした。
家庭の仕事もこなし、柿山でも働く姿には頭が下がりました。
私に子どもが生まれ、なかなか山に出られなくても、何も言わずに自分のペースで仕事をしました。
私も2人の女の子ができましたが、上の子が幼稚園に入り、下の子が3歳になると、外に働きに出ました。そのときも、孫の面倒を見ながら働いてくれました。
専業農家の嫁が働きに出ることは、その当時は近所の噂にもなりましたが、全て家族のためでした。その頃から果物離れが顕著となり、市場に出しても安く、また災害も多く、柿だけでは生活が安定しなかったからでした。
母は日頃より、よく感謝をしていました。
朝日が昇ると太陽に手を合わせて「今日も1日元気で過ごせるように」、夕暮れは、「ありがとうございました」と手を合わせて感謝していました。
そして「私は、コロッとあの世に行くから心配しないでよ」と言って、仏壇に手を合わせて、本当に元気に毎日過ごしていました。
洗濯も、自分の物は自分でしていました。
平成29年3月10日、ショートステイから戻り、大好物の天ぷらを「おいしい!」とぺろりと食べ、11日の夜、大好きなお風呂に入り、主人が湯加減を聞くと「やっぱり家のお風呂は気持ちいいわー」と言って旅立ちました。
本当は施設から12日に帰る予定でしたが、何となく2日早く連れて帰ったのでした。
ほっとしたのでしょう。
そして驚きました。
私の次女が5歳のとき、次女を仏壇の前に呼んで「自分に何かあればこの写真を使って欲しい」と言っていたようです。
私達は何も知りませんでしたが、娘は覚えていて、なんと手紙まで書いていました。
「2人の息子7人の孫に恵まれて幸せです」と。
母の願いどおりの最後でした。
母を見習って感謝の気持ちを持ち、私もこんな人生を送りたいと思います。
私の娘たちは「良子さんのおにぎりが最高や!」と今でも言います。
私も母の後を追いかけ「あーちゃんの〇〇が最高や!」と、孫たちに言われるようになりたいと思います。
言葉にするときは、決してマイナスのことは言わない。
プラスの前向きな生き方は、その人もまわりも幸せになれると母の願う姿から教えられました。
嫁姑問題いろいろとあるかもしれませんが、私の母は我慢強かったのだと思います。
あっぱれ!良子さんの人生。
ありがとう。
【コラム執筆者】
桐山昌代
1960年生まれ。下市町に生まれ育つ。28歳で地元の富有柿の専業農家に嫁ぐ。4人の子どもと両親の8人家族。毎日の食生活改善が大切だと薬膳アドバイザー健康管理士の資格を取得。
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