2020/12/31 00:00
ぱ〜ぷるmama

【子育てコラム】桐さんの田舎暮らしの子育て
今回は柿農家に嫁いだ私の子育て体験をお話しさせていただきます。
昭和63年3月に11歳年上で再婚の夫と結婚。中学1年、小学5年の女の子2人に両親が同居という中に飛び込みました。
専業農家なうえに、ゆくゆくは姑の妹さんと同居が条件です。
実家の大反対を押し切り「チョット行ってくるわ」と結婚当日、白無垢で家を出ました。
朝は茶がゆ、子どもはご飯。昼ご飯4人に夜は6人分。1日があっと言う間に過ぎました。
水道がなく、お風呂は薪でたきます。使い水と飲み水は別で、夏の日照りでは、水は大切だと教えられました。
お風呂は、義父、主人、義母、子どもたち、私の順番で、途中で1度追い焚きします。
お風呂では、きまって誰かが入ると「どうでー」と、湯加減を聞きます。
この声掛けは、今でも孫たちに受け継がれています。
2人の子どもたちは小学校1年、幼稚園のときに母親を病気で亡くし、寂しい思いをしてきたのか、私が母になってとてもよろこんでくれました。
驚きの生活習慣に戸惑いながらの毎日。
柿山は6個あり、収穫時期は家族総出でテキパキこなします。子どもの姿を見て「小さいときから柿山に連れてきていたんだ」と感じました。
「自分の子どもはどうしようか?」と悩みましたが、考えた末に授かれば産もうと決意。平成2年1月、平成3年9月に2人の女の子を出産。お姉ちゃん達もよろこんで大事にしてくれました。
一番上のお姉ちゃんはヤンチャで、高校生のときに学校から呼び出される度に下の子をおんぶして学校に行きました。校長室に入るときは、背中の子に「ほらほら、校長室にこの歳で入るのあんたぐらいやな」と言ったのを覚えてます。
3世代の家族は大変です。主人は頑固で恐い人でした。
娘は、ヤンチャするけど怖いので「パパには言わないで欲しい」と。手綱をしめたり、緩めたり。
でも、いつも言ってました「あなたのことを信用しているし、愛している。
自分で責任取れないこと、他人に迷惑をかけることはいけない」と。
下2人もバス通学するようになり、帰宅すると「友達と遊ぶから送り迎えして欲しい」と言ったときは、「歩いて行けるところの友達と遊びなさい」と伝えました。
柿で生活をしており、仕事が遅れることはできないので、自分の事は自分ですることを厳しく話してました。
我慢させたこともかなりありましたが、主人はいつも畑に連れていって自然の中で遊ばせました。夏はセミやゲンジを取りに行き、冬はソリを作り雪遊び。
家族のルールがあります。
「時の挨拶は必ずする」
「いつも感謝すること」
「人には迷惑かけない」
私は絶対に主人や親の悪口は言わないようにしました。
父親の威厳が大事だからです。
今では7人の孫に恵まれ、子どもたち孫たちも仲が良く、みんなが帰ってくると宿泊施設のようです。
私はいつも真正面からぶつかり、全力で向きあってきました。
辛いこと、逃げ出したいことは、山ほどありました。
「ここで負けたくない。幸せになると決めて、私が明るく、笑顔で元気でいれば、子どもも安心して育つ。家族が仲良くいれるように母は太陽のごとく明るく見守り、安心できる存在に私が成長しよう」と生きてきました。
今、子育てを頑張っているママたちに
「届け桐さんパワー!」
【コラム執筆者】
桐山昌代
1960年生まれ。下市町に生まれ育つ。28歳で地元の富有柿の専業農家に嫁ぐ。4人の子どもと両親の8人家族。毎日の食生活改善が大切だと薬膳アドバイザー健康管理士の資格を取得。
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