2020/01/15 01:00
Vol31.八木酒造「升平」社長 八木威樹
奈良の酒蔵巡り連載の最終章は、八木酒造
当主の八木威樹さんは、中世の造りを復活させた「奈良県菩提酛による清酒製造研究会」のメンバーであり、会長も務めた古参の一人。
約20年前には他蔵に先駆け梅酒を造り、梅焼酎を造り、奈良で唯一の芋焼酎に麦焼酎も造る。
当主の八木威樹さん
かつては奈良県一の3万石を醸造した万石蔵であり、代表銘柄「升平」は清酒業界の浮沈も経験しつつ今も蔵の看板である。
菩提酛について、賞を重ねる人気の梅酒や焼酎造りについて。
時代を見据えて蔵を守り抜いてきた八木さんにお聞きした。
蔵の屋敷は江戸期のもの。吹き抜けの上には煙を屋外に出す「煙出」がある
春日原始林の山麓、名水地として古来より知られる「清水」に蔵はある。
明治創業とするが、八木酒造の前身「横田屋」は江戸以前、中世からの造り酒屋。
江戸期の屋敷と蔵二棟が今も使われている。
「随分、様子が変わりましたね。問屋さんも小売屋さんも」。
八木さんは言う。
かつて奈良の旅館には「升平」が置かれたものだ。だがその旅館が次々と姿を消した。
かつてはこの「清水通り」に名水を生かした酒、醤油、塩造りの店舗が軒を連ねていた
特定名称酒でなければ酒の顔が表に出ない。
大衆に愛される良い酒を良い価格で、と醸してきたが、出る量は時代とともに減っている。
表舞台から姿を消したような寂しさがあった。
だが力のある蔵には、酒の神が誘うように、新たな話が舞い込むものだ。
看板酒となった「菩提酛 升平」を手に蔵前で
中世の酒、菩提酛の復活と
つづく梅酒の誕生秘話
一つは菩提酛(ぼだいもと)の酒造り。
清酒の起源、室町時代に正暦寺で行われた「菩提酛づくり」を復活させる「奈良県菩提もとによる清酒製造研究会」に参画。
県内蔵元たちと県工業技術センターなどの協力を得て立ち上げたのが1995年のこと。
その成果で約600年ぶりに息を吹き返した幻の酒、「菩提酛清酒」は、今では奈良酒を語るに外せない銘酒となった。正暦寺で仕込んだ酛を現在も県内8蔵が自蔵に持ち帰り醸造する。
八木酒造が醸すのは看板を背負った「菩提酛 純米 升平」。
当初はずっしり重い甘口の時もあったが、今は芳醇な辛口に仕上げている。
8蔵の当主は代替わりをしたところも多い。
「若い蔵元にもこの酒が持つ意義、寺と人がつないだ歴史を、しっかり伝えていかなくては」と思う。
時を経て継ぐべき酒。守るべき酒だから。
梅酒専門店も腰を抜かした
月ヶ瀬の梅原酒、花札で登場
そして時を同じくする約20年前に舞い込んだもう一つの話があった。
それは梅の酒、である。
梅の名産地、月ヶ瀬から梅酒を造ってほしいと持ち込まれた。
まだ酒蔵が梅酒造りをするのが珍しかった時代。
「梅まつりの頃に土産酒として、少し出せれば」のつもりであったが、これが思いのほか好評に。
ロングセラーとなり、続く梅焼酎など人気商品も生まれ、蔵を支える新しい柱に育つ。
そもそも梅酒以前から焼酎は手掛けていた。
近所の焼酎蔵が閉じるとき、その免許を譲り受け、酒粕からの本格焼酎を醸造していたのである。
ところが酒税法が変わり、安価であった乙種の粕取り焼酎も甲種と一律の税額に。値が上がれば売り上げが下がるのは必定。
思案していたところ、月ヶ瀬村との梅の話が持ち上がった。
先陣を切る者は、産みの苦しみを味わねばならない
ここで思わぬ副産物が。
梅酒造りの梅の実は菓子原料として再利用できるが、月ヶ瀬の梅は消毒をしていないため、虫食いがあり使えない。
上質な実ゆえ捨てるには惜しい。ならば粕取り焼酎の粕の代わりにと、梅酒の実を使ったところ、旨い梅焼酎が出来上がった。
「この造りで始めたのは全国でもうちが最初ではと思います」。
ところが前例が無いだけに、壁も立ちはだかる。
焼酎として税務署に事前申告で了承を得ていたが、販売後に国税庁から「香りがある」と「待った」がかかり、まさかの製造中止に。
体制が変わり、スピリッツの区分にされて、ようやく造れるようになったこと。
また、今でこそ清酒蔵がいろんな果実のリキュールや酒粕の副産物を造るのが当たり前になったが、当初は梅のみの許可。
「後から造り出した蔵がなんでも造れるのに、うちはしばらく許可がもらえませんでした」と理不尽な思い、難儀な過去を振り返る。
左から「菩提酛 升平」、契約農家の芋と地元米の黒麹で仕込んだ芋焼酎「鹿王の宴」、花札シリーズ「とろとろの梅酒」と「月ヶ瀬の梅原酒」
だが苦難を超えて、今では梅酒、焼酎、リキュールと彩りが豊かな蔵に。
なかでも限定流通の花札シリーズはラベルも楽しく人気の品に。
始まりは楽天の梅酒専門店からの話であった。
サンプルにとタンクの原酒をそのまま味見に出したところ、
「こんな濃醇な梅酒が世の中にあっていいのか?腰を抜かした」
と驚かれ、「月ヶ瀬の梅原酒」として即、商品化。
店主が一番気に入った酒に使おうと思っていた花札ラベルが貼られ、それが評判となり、シリーズ化されていった。
完熟梅果肉をふんだんに使い、桃のような芳香がある「とろとろの梅酒」など、梅酒だけでも7種。柚子やみかんなどのリキュールや焼酎、スピリッツが次々と生まれていった。
ちなみに世界各国の酒ソムリエが品評する「ロンドン酒チャレンジ2019」で「とろとろの梅酒」はプラチナ賞を、「月ヶ瀬の梅原酒」は金賞を受賞するなど、様々な梅酒の賞を受賞。
蔵に活力をもたらしている。
実際、一番の生産量は清酒を抜いて「とろとろ梅酒」なのである。
そのほか、平群など県内産の芋を使った芋焼酎に麦焼酎、同じく県内結崎のネギを使ったネギ焼酎など焼酎好きにも愛される蔵となる。
焼酎に梅酒に清酒。それぞれ造りも違えば仕込みの時期も異なる。
造りは社員杜氏。社員6人と時期によりパートを入れて醸している。
何しろ造りが異なる種類が多く、「段取りが難しい」。
夏の終わりから焼酎の麹を造り、それから清酒の麹。
ところが「芋は掘らないことには出来が分からない」。
どんどん後ろにスケジュールがずれ込んで、忙しさが増していく。
それでも種類を減らすつもりは無い。
「求めてくださる人がいますから。ありがたいことです」。
清酒はもとより蔵の主軸で、尽力する菩提酛は継がねばならない酒である。
梅酒や梅焼酎は海外への販路の伸びも期待したい。
続けることの厳しさを知り、挑戦し続けることの楽しさも知っている蔵である。
「これからも造り続けていきたいですね」。
その言葉を口にする重みもまた、当主はよく知っている。
<完>
雑誌「naranto」2016年秋冬号、「風の森」油長酒造から始まった
【大和蔵元探訪 酒めぐり】。
「naranto」休刊に伴い、「花巴」美吉野酒造をvol1として
「櫛羅」「篠峯」千代酒造をvol2に、vol 3で油長酒造を再掲載し、
今西酒造、久保本家、梅乃宿酒造…と
2本の番外編を挟んで奈良県内全29の酒蔵を訪ね、蔵元にインタビュー。
酒への思い、蔵への思いを、背負った歴史とともにお聞きしてきました。
どの蔵にも一つ残らず驚くべき物語があり、
それぞれの蔵ならではの光る個性がありました。
それもバラエティ豊かといわれる奈良酒の由縁なのかもしれません。
おいしい奈良酒を手にしたら、その酒を醸した蔵の物語もひもといて
酒の肴にしていただければ幸いです。
酒は人なり。よく言われる言葉ですね。
それ、ほんまでした。