2019/12/18 01:00
Vol30.藤村酒造「老松」名水「ごろごろ水」取締役 藤村孝信
看板酒「老松」と名水「ごろごろ水」
消える蔵、救われる蔵、挑む蔵…
蔵の存続を、加工米と名水に賭けた
使う米は100%、加工米。
「全国でも100%はうちだけでしょう」。
純米大吟醸も加工米で仕込む。
仕込み水は100%“神の水”とも讃えられる名水百選の「ごろごろ水」。
蔵は水の利権を持ち、販売元でもある。
特別な米と特別な水が、蔵を存続させた。
日本酒の良き時代が終わり、奈良の蔵が次々と消えた時、
加工米と名水が蔵を救ったのである。
創業文久3年(1863年)宇陀で始まった庄屋筋。第二次大戦後、吉野の下市へ移った。
蔵の存続を賭けた
「まずは杜氏がおらんようになったのです。ついてくるその兵隊、蔵人もおらんようになりました」。藤村酒造の次代を継ぐ取締役、藤村孝信さんは振り返る。
日本酒業界が低迷、大手酒造メーカーへの桶売りが無くなり、杜氏制度も消えて…と蔵のたどった道を聞くと、「その通り。でも順番は逆」。
出稼ぎは死語となった。
高齢の但馬杜氏が引退し、
蔵人たちは稲刈りの後、地元の温泉で働くことに。
次の造りは、どうするか。
これで蔵は終わるのか。
いや、なんとしても終わらせない。
駆け込むように他蔵で教わり、戻ってすぐに仕込みを始めた。
平成5年のことであった。
この年から蔵は変わった。
仕込むのは家族のみ。
社長である父と自身。2人の姉が手伝った。
ぎりぎり限界、緊張の連続。夜も眠れない。
搾り終えたとき、戦前から80年近く勤めた番頭が声を上げて泣いた。
「あんたらだけで、ようやりはった」。
山田錦、純米大吟醸の加工米
「冒険しすぎや」と酒税課長は言った
蔵を救ったのは、加工米である。
造りの過程を省略できる、乾燥麹とアルファ化米。
翌平成6年。最初の仕込みの1本が、当時の奈良県清酒品評会で優等賞を受賞した。
「冒険しすぎや」。
造りの前に相談に行った国税庁の酒税課長は案じたが、結果はその後も4年連続の受賞となった。
「これで蔵を続けられる。大きな自信となりました」。
加工米は実は以前から1割ほどは使っていた。
正月に蔵人が一時帰郷したい時など、人手不足を補った。
洗米も蒸しも麹造りも必要が無い。
加工済みなのである。
造りはタンクでのもろみ仕込みから始まる。
取材に訪れた12月。まだ仕込みは始まっていない。
日本一、造りの期間が短い蔵
造りが始まるのは年明けの事始め1月5日から。
3月31日には終了する。
造りが省略なだけではない。
醸す石数も20石とわずか。
1石は一升瓶100本分だから2000本の仕込みとなる。
吉野郡に顧客の多くを持ち、この生産量を今も安定して造り続けている。
実は加工米の成功を知り、同じく人手不足で苦しむ複数の蔵から相談を受けた。手法は教えたが、どの蔵も数年で廃業した。
加工米に変える際、甑(こしき)も放冷機もすべて処分。石数は20。「日本一遅く仕込んで、日本一早く終わっている」からこのヤブタ式自動圧搾ろ過機は今も新品のよう。
なぜ、藤村酒造は蔵を守りきれたのか
実は加工米と時をほぼ同じくして、もう一つ、蔵を救った出会いがあった。
水である。
「名水仕込みにしたらどうか」。
大阪の顧客からの助言があった。
奈良には環境省選定の名水百選に選ばれた「ごろごろ水」があるではないか。
霊峰・大峯山麓の洞川(どろがわ)湧水群にあり、地中の水がごろごろと音を立てて流れる様から、その名を持つ。
地元の人々に古くから信仰されてきた“神の水”でもある。
しかもその地は、蔵の酒が飲まれるところ。
知己を得た地であった。
杜氏が去り、蔵人が去り、苦しむ蔵には、まさに天から降ってきたような話。
当初、水は購入していたが、やがて水の利権を得る話も持ち上がり、平成7年、会社を立ち上げることに。酒の仕込み水としてはもちろん、水自体を販売することにもなった。
「ごろごろ水」を手に。藤村孝信さん。水の利権を持ち、タンクローリーで蔵に運び、仕込み水のすべてに使う。
「ごろごろ水」で酒の味は変わったか。
「シャープになったと言われるようになりました」と藤村さん。
それまでは飲みやすく、どこにでも出せる使いやすい酒だが方向性がよく分からないと言われることが多かった。
ところが輪郭のはっきりしたクリアな酒に。名水仕立てという冠のみならず、キレのあるシャープな酒との評価を得た。
さらに水の売り上げは思いのほか好調に。
「売り上げは水7、酒3になっています」。
藤村酒造の酒は水に支えられている。
酒そのものも、蔵自体も。
日本酒消費量が落ちる中、水は酒を越えて、蔵の屋台骨となった。
加工米はこの先も通用しうるのか
ただしこれで将来安泰、とはいかない。
酒の加工米を販売する会社は全国で1軒しかない。
そして藤村酒造は米の100%を加工米に頼る蔵である。
たとえば米を50%に削る純米大吟醸の加工米は、大変手間がかかる上、需要が少ない。
「全国でもほぼ、うちだけでしょう」。
今後、販売が無くなる可能性もあり、他の種類にしても安定した供給を見込めるとは限らない。
そして何よりの懸案がある。
蔵元自身の思いである。
加工米はこの先も通用しうるのか。
「今は山廃あり生酛あり、ひと手間多くかかる酒こそ旨酒との風潮がある。“昔ながらの手間を惜しまない酒”が謳い文句でしょう」。
かえりみて「蔵の酒への低い評価」を思う。
始めたころは時代の先を行ったようで、いつの間にか時代に逆光していたのではないか。
「加工米を決断した平成6年の親父の歳が57歳。いま私は53歳です」。
蔵の存続を賭けて、もう一度。
「今うちは、面白い時期に来ているのかもしれませんね」。
小さな蔵はどの蔵も、生き残りを賭けて前を向く。
次期当主は揺れる心を隠そうともせず、「今ならできる」としめくくった。
藤村酒造株式会社
- 住所/奈良県吉野郡下市町大字下市154
- 電話/0747-52-2538
- 営業時間/
- 定休日/無
- 駐車場/なし