2019/02/26 01:00
Vol.19 3月1日開館!江戸の華「古都奈良かんざし美術館」
近鉄奈良駅7番出口から徒歩2分。大宮通りに面したビルの一室にある。江戸の華が咲くプチ・ミュージアム。
幕末に大奥の女官が挿していた豪華なかんざしや、武家の奥方から町娘も夢中になった流行りかんざしに魔除けのかんざし。
華麗な蒔絵や螺鈿、繊細な金工を施したもの、べっこう、サンゴ、象牙に真珠を用い、職人が技巧を凝らした珍しいものや希少なもの。
大奥のきらびやかな御殿が目に浮かぶよう。端正な武家屋敷や、活気にあふれた江戸市中…。挿した人にも思いを馳せて。
浮世絵の名品から大奥女官の打掛も
目玉は約160年前に奈良でつくられた神鹿かんざし
江戸時代の写真や浮世絵なども展示。打掛をはおった“お菊さん”もお出迎え。
3月1日にオープンする古都奈良かんざし美術館は、江戸時代を中心に、明治、大正から昭和初期まで。往時の女性を彩った“文化の華”を展示。
かんざしを中心に、時代風俗を描きこんだ浮世絵の名品から公家の姫が使ったとされる箱枕、大奥女官がまとったと伝わる打掛、御台所(みだいどころ・将軍の妻)から拝領したとおぼしき着物(小袖)など、期間により展示を変えつつ、さまざまに披露する。
目玉展示は鹿の角の「鹿角神鹿信仰かんざし」。
「奈良で作られ、江戸で人気を呼んだもの。鹿のお産は軽く、しかも奈良の鹿は神鹿とあって安産のお守りに。魔除けのドクロが彫られたものなど面白い形のものがあります。この時代の鹿角かんざしは美術館にも残らないのでは」。
開館準備中に古い木箱の中から「当時の完全な形のまま。奇跡のように」大量に発見されたものという。
江戸時代、奈良の鹿角で作られた「鹿角神鹿信仰かんざし」。ドクロは魔除け。
女スパイが密文書を運んだとされるかんざしと棒状の髪飾り・笄(こうがい)。
9歳の少女の夢
いつかきっと、かんざしの美術館を開こう
大奥女官風の装束をまとった喜多浩子さん。「古都奈良から江戸の文化を発信します」。
実家は公家筋の旧家。蔵には名刀や打掛など代々の名品があり、幼き頃より骨董に親しんだ。
目も心も磨かれて、小学生の頃には立派な骨董ファンに。
「江戸時代が好きで好きで、子ども部屋は時代劇の道具部屋のようでした」。
とりわけ夢中になったのは、きれいなかんざし。
骨董巡りを始めたのは、なんと9歳から。
休みの日は親を誘って(!)京都、大阪、奈良の骨董市や骨董店へ。
店主から何十ものかんざしを、箱ごと買い占めたことも。
お小遣いが足りなくて下を向く少女に負けて、値下げしてくれたことも多々あったとか。
少女は夢を見た。
「いつか集めたかんざしを、たくさんの人に見てもらおう」。
この美しい、きらびやかな小世界を見てもらおう。かんざしの美術館を開くのだ。
櫛かんざしは額装して壁掛けで展示。「間近でじっくりご覧いただきたくて」。
中学高校も骨董収集は変わらず、「京阪神の骨董店はほぼ制覇」。
いつしかなじみの上客に。大学は東京の武蔵野美大へ。
ここでも名高い蚤の市に通い詰めては収集を続け、西から東から、かんざしだけで数千点もコレクションすることに。
かんざしコレクターであり、画家や占い師の顔も
さらに喜多さんは、大変多彩でユニークな顔も持つ。一つは画家の顔。
大学卒業後は産経新聞の奈良版文化欄を担当する内勤の編集記者に。勤めながらも個展を開き、とりわけ相撲画は昭和天皇やレーガン大統領(当時)に献上されたほど。
女性記者の少ない時代、ハードな仕事に二足のわらじは辛かったが「人間ほめられるより叱られる方が良い。10年、ここで働いて」と産経新聞名物記者であった司馬遼太郎に励まされ、言葉通り10年勤めて退職した。
もう一つは占い師の顔。実はこちらも小学生からという。
「占いが好きで、同級生の手相を見ながら運命鑑定を勉強していました」。
その後、掌線学、九星気学、易学をその道の権威に学び、占い師としても活躍中。同館に併設して占いも行うという。
こちらは旗本娘風に。「普段は洋装ですよ」。奈良県で初の櫛かんざし美術館となる。*展示は取材時のもの。開館時とは異なります。
そして時が満ち、ついに少女の夢は叶う。
「奈良で初の江戸かんざしの美術館。江戸時代にタイムトリップするような不思議な空間をつくりたい」と喜多さん。
江戸城の大奥の女官が着ていた打掛をまとえたり、秀吉が信仰したと伝わる秘仏の荼枳尼天(だきにてん)が拝めたり、大きな美術館ではありえない展示が楽しめる。それは少女が集めた宝の部屋が、今に開かれたようでもあり、あっと驚く玉手箱のようでもある。
古都奈良かんざし美術館
- 住所/奈良県奈良市油阪町446-16
- 電話/090-8988-0469
- 営業時間/10:00~16:00
- 定休日/火曜日
- 駐車場/無(近隣に有料駐車場あり)