2019/01/30 01:00
Vol19.菊司醸造「菊司」「くらがり越え」蔵元杜氏 駒井大
1705年にはすでに蔵の記録が残る。300年越えの老舗蔵。
13代目の当主・駒井大さん、52歳は、おそらく奈良で最初の蔵元杜氏である。
どっしりした構えが歴史の重みを感じさせる。倉庫に続く門には、東大寺長老、故・清水公照が揮毫した「転心居」の扁額が掛かる
一升瓶がうっかり空いてしまう酒である
食卓にドンと置けば今宵も幸せ。まごうことなき食中酒。「どの料理に合うか」なんて聞けば蔵元は笑うだろう。「どの料理の邪魔もしない」と返しつつ。
菊司醸造の酒はどれも辛口だ。すっきりキレる。その潔さが盃を進めさす。
華やかな吟醸香は求めない。望むは「一升、飲める酒」。食事のときに、一番最初に手が出る酒であればいい。そしてそれは最後まで。
甘さを捨てた、実に男っぷりのいい酒である。
築300有余年の歴史ある母屋の前で。重文指定の誘いは断った。
造りは駒井さんがすべてをこなす。
ビールならぬ日本酒の「マイクロ・サケ・ブルワリーです」。
かつて桶売りの頃は3000石を醸したが今は100石。
一人が良いとは言いません、と前置きしつつ、杜氏のいる頃から「造りは一人で出来る」と思っていたし、今は酒がそれを証している。
水は無ろ過の井戸水。
酵母の餌の多い山筋の硬水を使う。
米は基本的に一般米。飯米を使う。
これが本来の酒の姿であろうと思うし、菊司の酒だと思う。
上槽は機械は使わない。昔ながらの槽搾り(ふなしぼり)で手間ひまかけて全酒を搾る。
圧を控えて優しくじっくり。
吟醸だけ、大吟醸だけ、という蔵ならあるが、普通酒も純米酒もすべての酒を昔ながらの槽で搾る。
これは3000石の当時から変わらない、菊司の伝統である。
イキの良い酵母が良い仕事をし、雑味のないキレっぷりに仕上がる。それが菊司の酒である。
奈良で最初の蔵元杜氏
大晦日の朝、運命が変わる
一升瓶が小さく見える堂々たる体軀。
関西学院大アメフト部出身。商学部でマスコミ志望。
思いが変わったのは休みに蔵の手伝いをして。
「これは、あかん」。
時代は変わろうとしていた。
日本酒業界は低迷し、酒屋は次々姿を消す。
共同通信の元記者であった父は、当時、蔵元の多くがそうであったように「旦那さん」。
蔵の舵きりが要る。
卒業後、反対する父を説得し、醸造試験場で一年、造りを学んだ後、商社で流通を知る。
枝葉を伸ばして知己を得て、帰る蔵の取引先も増やした。
「蔵は任せる」。父に告げられ30歳で戻った年に、奈良のほとんどの蔵が生計とした大手メーカーに酒を売る「桶売り」の取引が終了した。
その2年後、大晦日の朝に運命は急転。
長年勤めた但馬杜氏が突然倒れる。
蔵にはもろみが仕込まれ、蔵人も待つ。
正月の葬儀の席で意を決する。まだ2年。だが急を要して後が無い。
今から20年前、社員杜氏の言葉すら根付かぬ時代。
「蔵元が杜氏やて。そんな話、聞いたことないわ、と皆に言われましたね」。
知らせを聞いて元旦に駆けつけてくれた、「風の森」油長酒造の先代、山本長兵衛さんは「酒の父」。
杜氏亡き後、造りの大きな支えとなった。「恩人です」。
左端は清酒の起源、室町時代の造りを再現した菩提酛の酒「菊司」。右端は奈良県独自の山乃かみ酵母を使った「往馬」。どちらも駒井さんが深く関わり尽力して生まれた酒。
蔵がたどった険しい道
くらがり峠の難所を越えて
「くらがり越え」という酒がある。ファンの多い辛口酒だ。
松尾芭蕉がくらがり峠(暗峠)について詠んだ句から名付けられた。
くらがり峠は古道・奈良街道の難所で急勾配のきびしい道。
そのふもとにある蔵もまた、極めてきびしい道をたどる。
蔵元杜氏となり、吟醸酒、特定名称酒を醸し、酒質も売上も上り調子であったが蔵とは別の、父の事業で巨額の債務を抱えることに。
36歳のときに父が逝く。造りの最中であろうが銀行に呼び出され、返済に追われる日々。蔵の利益は吸い上げられ、それでも造りの手は止めなかった。
蔵の酒が変わったのは、その日々の中。それまでは「ちょっと野暮な味のある酒」であったのが、キリリと潔いオール辛口の蔵に。さっぱりと甘さは捨てた。
残された敷地の一画に建つのは酒の神を祀る石碑(右)。今も蔵を見守る。隣は名高い俳人、阿波野青畝の「和を以って 尊ぶために 菊の酒」との句碑も。
6年前、蔵の敷地を失った。売却して債務を清算。
その後、都祁の他蔵を借り、それでも造りを続けてきた。
初めて蔵元杜氏になった時と同じく、周囲に言われた。
「お前、ようやるな」。
蔵を守るなんて、きれい事は言いたくない。
蔵に生まれ、生きるために造る。他に何があるかと思う。
訪れた日、しじみのオルニチン酵母を使った醪が仕込まれ、ふつふつと発酵をしていた。今年の新しい酒になる。
昨年、都祁から引き上げ、家の敷地に仕込み蔵、冷蔵庫、倉庫をつくり、造りを再開した。
蔵はまた、新たな再生の時を迎えたようだ。
「ひと造りめを終えて皆に言われたのが、同じやな、と。都祁で造り始めたときも、変わらんな、と」。
債務にまみれた時も、蔵を失った時も、どんな境地であれ、境遇であれ、同じ手が渾身の思いで止むことなく醸してきた、つまりは菊司の酒ということか。
「夢ですか。そんな格好の良いものは見ません」と言い放つ。
「あと10年、この手で造れたらそれでいい」。
その道の途中で何か見つかれば拾うだろう。
くらがり峠の難所を越えて、当主はきっぱり豪快に笑った。
実は酒粕も大人気。あっという間に売り切れるので1人3個までの制限付。「12月には酒粕のために仕込みを増やすことも」。槽で搾った酒粕は柔らかで香り高く「手で搾ってまだ酒が出るほど」。
肉、魚、野菜、家庭で奈良漬ができる踏込粕も。もちろん蔵で仕込んだ奈良漬も販売する。
菊司醸造株式会社
- 住所/奈良県 生駒市小瀬町 555
- 電話/0743-77-8005
- 営業時間/(平日・土曜日)9:00~17:00(日祝日)10:00~16:00
- 定休日/新年3日間、お盆3日間のみ
- 駐車場/3台