2024/12/30 06:45
ぱーぷる編集部(喜畑恵太)
【東京ヤクルトスワローズ】奈良の思い出も!宮本丈選手がここまでの野球人生を語る
履正社高校、奈良学園大学、東京ヤクルトスワローズと渡り歩き、プロ野球選手として活躍する宮本丈選手。
少年野球時代からプロ入りまでの野球人生を振り返り、その原点を紐解く。
ドラフト指名当日のこと、日本シリーズでの思い出、もちろん奈良の思い出など、貴重なエピソードも満載。
履正社高校時代を語る!宮本選手の野球人生の原点
@Tokyo Yakult Swallows
ーまずは野球を始めたきっかけを教えてください。
宮本選手「小学2年生の時に少年野球チームに入団しました。それまでは父親とキャッチボールをしていた程度ですね。」
ー当時、どういった選手でしたか?
宮本選手「周りの選手より身長が高かった分、地元ではちょっとうまい方だったと思います笑。」
ーその頃からプロ野球選手への片鱗が出ていたということですね。
宮本選手「いや、全然ですよ笑。地元・豊中にはもっとうまい選手がたくさんいたので。」
ー学生時代にこの選手すごかったなーという方を教えてください。
宮本選手「同じ履正社高校でプレーした柴田響ですね。小学校時代にピッチャーやってて、球がすごく速くて、バッティングもよく、子どもの頃からちょっと有名な選手でした。」
ー履正社高校を選ばれた理由を教えてください。
宮本選手「『大阪で甲子園に出たい』という目標がありました。大阪桐蔭か履正社が有力かと思いますが、当時の履正社高校の岡田龍生監督(現・東洋大姫路)が中学時代に試合を観てくださいまして。違う選手を観に来てたのですが、たまたま僕が目についたらしく、誘っていただいたので履正社高校を選びました。」
奈良学園大学を選んだ理由は?
ーそして、奈良学園大学に進学されることになります。奈良学園を選んだ理由を教えてください。
宮本選手「中学校の時に通っていた野球塾のコーチが同大学出身でした。僕が大学生になる時に、その方が奈良学園大学のコーチに就任されるということで進学しました。」
ー大学時代は首位打者やベストナインに選ばれるなど、大活躍されました。そして、大学4年生の時に大学日本代表にも選ばれました。その時のお気持ちを教えてください。
宮本選手「『奈良学園大学からでも日本代表に行ける。』というのを後輩に見せられたので、そこはうれしかったですね。例年、近畿から1、2人、関西学生野球連盟から選ばれるのが基本ですから、価値があるかなと思いましたね。」
ー宮本選手と同学年の村上海斗選手もプロ入りを果たしていますね。久々の同大学からプロ野球選手が2人も誕生するって素晴らしいことですね。
宮本選手「そうですね。ちなみに僕たちの代が奈良産業大学から奈良学園大学に変わっての一期生なんです。大学名が変わってから、僕たちが初のプロ野球選手になります。」
ーあ、そうなんですね。一期生からプロを輩出するってすごいことですね。ちなみに奈良での思い出はありますか?
宮本選手「奈良公園にはよく行ってました。僕、教育学部だったので、授業の一環で行っていました。授業の内容はもう覚えていないですけど笑。あとは地域の方々との交流でも奈良公園に行きましたね。」
思い出の試合は日本シリーズ
ーそして、2017年のプロ野球ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから、6位で指名を受け入団します。名前が呼ばれた時の感想を教えてください。
宮本選手「履正社高校の先輩、山田哲人さんと一緒にプレーできるという思いがすぐに来ましたね。」
ーこの年にドラフトで指名される自信はありましたか?
宮本選手「世間の評価などよく目にしていたので、どこかの球団は選んでくれるのでは?という自信はありました。」
ー今までで思い出に残る試合を教えてください。
宮本選手「日本一になった時はすごく覚えていますね。神戸での胴上げです。」
ーあの試合、無茶苦茶寒かったのでは?
宮本選手「かなり寒かったです。スタメンで出場していたので、日本一に携われたという強い実感があったので、僕の野球人生にとっては大きいことですよね。あの日本シリーズ、初戦でケガでベンチに下がったので、スタメンに戻ってこれて、本当に良かったです。」
ーそれでは最後に奈良の方々にメッセージをお願いします。
宮本選手「大阪出身ですけど、大学時代の奈良での思い出はたくさんあります。地元は奈良県ではないですが、現役のうちは僕のこと少しでも応援していただければと思います。」
東京ヤクルトスワローズ・宮本丈選手プロフィール
●生年月日
1995年4月3日
●出身地
大阪府豊中市
●ポジション
内・外野手
●経歴
中学:淀川ボーイズ
高校:履正社高等学校
大学:奈良学園大学
プロ:東京ヤクルトスワローズ(2017年ドラフト6位)