2024/09/07 07:00
ぱーぷる編集部(喜畑恵太)
怪談ナイト直前!稲川淳二に聞く「怪談の魅力」と「爆笑奈良体験」
2024年10月27日(日)に奈良県奈良市にある『なら100年会館 大ホール』で「MYSTERY NIGHT TOUR 2024 稲川淳二の怪談ナイト ~怪談喜寿~」が開催される。
今回はツアー中の稲川淳二さんにインタビューを行った。
華麗なる転身!工業デザイナーから人気タレントへ
ーまずはタレントとして活動するきっかけを教えてください。
稲川さん「当初は、芸能界で生きて行こうとは思っていなかったです。元は工業デザイナーとして働いていて、芸能美術のお仕事がしたくてね。たまたま舞台の手伝いに行った時に、よく話すし面白いということから、演出家の方が私を気に入っちゃって『舞台転換の5分間、話で繋いでよ。』とお願いされて。話してみたら馬鹿受けなんですよ。舞台そのものよりも受けちゃって。その後、何回かやっていくうちに演出家に『芸能美術はやはり中に入って芝居した方が分かるよ。』とアドバイスをもらって、演者もやることになったんです。それが始まりです。」
ー「芸能美術」「演者」の両立で最初はされていたということですか?
稲川さん「そうです。工業デザイナーは時間の縛りがなかったので、何とか両立できていました。ただ、1年ほど経った頃に演者を辞めようと思っていました。ちょうどその頃、テレビにも出ていたということもあり、友人に結婚式の司会を頼まれたんですね。その結婚式に、『8時だョ!全員集合』などの作家をされていた、かとうまなぶさんがたまたま出席されていて、後日電話があり『ニッポン放送に来てくれ』と言われ、深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』に出演することになったんです。」
人気タレントから怪談家へ
ーその頃に怪談家になるきっかけがあったそうですね。
稲川さん「夏になると怪談ってやりたくなるじゃないですか。ラジオ局内の喫茶室でみんなで怪談していると、私が音楽番組をやっていたこともあり、有名なアーティストも会談を聞きに来るんです。マネージャーやプロデューサーなども集まってきてね。そしたらプロデューサーが『これから暑くなってくるから、受験生はきつくなるじゃない。ラジオ放送が深夜3時だから、眠気を吹き飛ばすためにも怪談してくれない?』と頼まれて。これがまた馬鹿受けで、その話が広まっていって、怪談を話すお仕事が増えていきましたね。」
ータレントと怪談家の両立って大変ではなかったですか?
稲川さん「大変でした。その頃は11PMなどの深夜番組にもたくさん出てて。ただ、その頃に怪談や恐怖本の新人作家の審査員などもやってて。怪談の本の話もあちこちから来てね。一時期は芸能人の長者番付でもランクインするくらいで。家に入ると玄関から札束の海を泳いで、部屋に入りましたね。」(嘘です笑)
ーその後、タレントを辞めて55歳の時に怪談家一本でやっていくことになりますよね。
稲川さん「この頃から怪談もだんだん軌道に乗ってきて、本腰を入れてやりたいと考えていました。タレントをやって、長者番付に名前が載っても1通もファンレターなんて来やしなかったんです(笑)。でも、怪談をやっているといい手紙やありがたいお言葉をたくさんもらうんです。93年にツアーを始めたすぐの頃だったかな。北九州で84歳のおじいちゃんが、200字の原稿用紙にびっしり自分の戦後の体験を書いて、くださったんです。内容は怪談に近い話でした。またある時は、小学生や主婦の方から、お手紙をいただきました。こういったお手紙をもらうと『ファンをおろそかにできない』と思い、タレント活動を辞めて怪談家として、生きていくことを決めました。その当時もレギュラー番組やドラマの仕事もたくさんありました。でも、体力のあるうちに本気で打ち込まないとファンに失礼だと思い、怪談家一本でやっていくと決めました。」
怪談は「怖い話」だけじゃない 稲川淳二が語る怪談の魅力
ー怪談家として心がけていることはありますか?
稲川さん「『怪談師』は、怪談を語るだけの人だと思うんです。私は話だけでなく審査など怪談のことは多岐に渡ってやるので、『怪談家』と肩書きを名乗らせていただこうと決めました。」
ー怪談のネタはどのようにして集めているのですか?
稲川さん「これはテレビの仕事をやっている時からですが、一般の方々からお話を聞かせていただいていますね。取材でお知り合いになった方とか。今でも10人くらいはいらっしゃいます。その方々からご紹介いただいた方もいるのですが、変わった生活をされている方が多くて。決して話が上手ではないんですが、圧倒的に味があるんです。」
ーお客さんを入れたライブで心がけていることはありますか?
稲川さん「『怪談』は怖い話などであって、CDやDVDなどで話を聴くことだと思っています。みんなで集まってあれこれ話すのが『怪談話』だと思っています。初めてライブに来たお客さんは驚かれる方が多いです。『CDやDVDとは違う』って。お客さんが大笑いしていますし、怖い時はブルブル震えたりして。人と人との付き合いができるのが怪談話であり、ライブだと思っています。昔、おじいちゃんが語ってくれた感じ、何か怖いけど不思議で温かいお話、居心地がいいお話をするように心がけていますね。」
奈良で繰り広げられたハプニング 稲川淳二の爆笑エピソード
ーそれではここからは奈良についてお聞きします。稲川さんの話の中で奈良にまつわるお話ってありますか?
稲川さん「『郵便物』という話があります。この物語は、霊感を持つ山口さんの能力と、現世とあの世が交錯する不思議な出来事を描いたものです。ただ、沖縄もそうですが、歴史の長い地は、妖怪話が多い印象があります。怪談は都会が舞台の話が多いです。伝える人がいないと成り立たないですから。でも、奈良などの神社仏閣がたくさんあって、信仰心がある所は、妖怪話も角が取れて丸くなっていますから、どこか優しい話が多いですね。」
ー稲川さんの奈良での思い出教えてください。
稲川さん「昔、番組の中継で奈良公園に訪れたことがあるんです。周りに全く鹿がいなかったのですが、鹿寄せのためにホルンを吹いたんです。そしたらね、鹿が兵隊さんみたいに隊列を組んでこっちに向かってきたんですよ。周りのみんな拍手喝采でしたよ。あとは生駒の山の中でバイクトライアルをする中継があって。最後にバイクをふかしすぎちゃって、前輪が浮いてしまってね。ぶら下がりながら発進してしまったんですが、うまいことフェードアウトしてね。それが馬鹿受けで。奈良にはそんな思い出がありますね。」
ーそれでは今年も「稲川淳二の怪談ナイト」が『なら100年会館 大ホール』で行われます(10月27日)。奈良の皆さまにメッセージをお願いいたします。
稲川さん「穏やかに豊かに秋を迎える奈良県って私好きなんですよね。怪談を聞くには夏~秋がちょうどいいんです。昼は暑さが残るのですが、夕方は涼しくなってくるでしょ。そういった時の怪談はいいんですよ。皆さんぜひお越しください。」
ー本日はありがとうございました。
稲川淳二プロフィール
1947年8月21日生まれ。
東京都出身。
工業デザイナーとして活躍しながら、独特の語り口で知られる怪談家。
ラジオの深夜放送で人気を博し、テレビ番組にも多数出演。
怪談ライブは常に満員となるほどの人気ぶり。
デザイン界では「車どめ」のデザインでグッドデザイン賞を受賞するなど、多才な才能を持つ人物。
近年ではYouTubeチャンネルを開設し、新たなファン層を開拓している。