野球
2022/05/02 12:40
ぱーぷる編集部(喜畑恵太)

【奈良県大会2009夏】ヤクルト西浦・ロッテ中村を擁した天理との決勝戦!郡山の選手にインタビュー【あの日あの試合①】

【奈良県大会2009夏】ヤクルト西浦・ロッテ中村を擁した天理との決勝戦!郡山の選手にインタビュー【あの日あの試合①】

2009年高校野球、奈良県大会夏の決勝戦・天理対郡山。のちにプロ入りする西浦直亨(東京ヤクルト)、中村奨吾(千葉ロッテ)などを筆頭に、社会人で活躍した選手も輩出したこの当時の天理高校。

対する郡山高校はこの年、森本達幸監督が勇退の年。今回はこの天理に挑んだ郡山の当時の3選手にインタビュー。この一戦に挑むまでや試合中の選手の思い、その後の人生について語っていただいた。

【奈良県大会2009夏】ヤクルト西浦・ロッテ中村を擁した天理との決勝戦!郡山の選手にインタビュー【あの日あの試合①】

キャプテン・大杉さん

【奈良県大会2009夏】ヤクルト西浦・ロッテ中村を擁した天理との決勝戦!郡山の選手にインタビュー【あの日あの試合①】

エース・大江さん

ー2009年の夏の郡山高校野球部のチーム状況はどのような感じだったのですか?


(キャプテン・大杉さん)まずはエースの大江が入院していて開幕日に退院しましたね。チーム状況は万全ではなかったです。
(エース・大江さん)僕、開幕式に行けなかったんですよね笑。

ーどのようなケガだったのですか?


(大江)有鉤骨(てのひらの骨)骨折です。

ー大会前に見つかったということですか?


(大江)春から手首が痛かったんですよね。病院に行っても原因が分からないと言われて、痛いまま練習や試合をしていました。夏前にはグラブに手を入れることさえできない状態だったので、再度病院で精密検査をしました。結果、骨折が判明しました。それが分かったのが大会1か月前くらいでした。よく(背番号)1番を与えてくださったなと思いますね。

【奈良県大会2009夏】ヤクルト西浦・ロッテ中村を擁した天理との決勝戦!郡山の選手にインタビュー【あの日あの試合①】

副キャプテン・福本さん

ーそんな状況だったのですね。初戦(2回戦)大江さんはマウンドに立ったのですか?


(大江)(大杉)投げてないような…。
(副キャプテン・福本)いや投げたよ。クーラー病で熱中症になりながら投げてた。
(大江)投げた、投げた!記憶が蘇ってきた!

ー3回戦で智辯学園とあたって勝ったんですよね?


(大杉)10対8で勝ちましたね。コールド勝ちも見えていたんですけど(10-1:7回表終了時)、そこから相手が盛り返してきて何とか逃げ切ったという試合でしたね。

ーその当時の智辯学園の印象は?


(大杉)1年生から甲子園でも活躍した稲盛選手を中心に、投打にバランスを取れたチームだった印象です。

ー2009年は当時の監督・森本さんの勇退される年ですよね?


(大杉)そうです。取材もありましたよ。監督勇退前に大会に挑むにあたってなど。

ー士気も高くチームとしても強かったんですね。そして奈良県大会決勝まで進みました。当日の様子はいかがでしたか?


(大杉)全然覚えてないですね笑。ただ、僕ら練習試合で強豪校と対戦しても勝ったりしていたので、天理相手でも物怖じするとかはなかったです。

ー先攻後攻を決めるじゃんけんで、勝ったのに先行を取った意図は?


(大杉)打ち勝つチームだったので、勢いをつけたかったので先行を選びました。ちなみに監督からは後攻を取れ!と言われていましたけど…。

ーその思惑通りに初回に先制点(1点)を挙げましたね


(大杉)1点しか取れなかったというのが正直なところでした。
(大江)(福本)そうそう。それは思いましたね。
(大杉)僕のゲッツーが痛かったです。相手の原田拓実選手(現・日本生命)のファインプレーでした。

ーその裏に天理の攻撃中に雨が降ってきたんですよね?1時間以上の中断だったのですよね?


(大江)結構雨が降っていたので、中止になると思っていました。日程もおしていたので、なんとかグランドを整備した上で試合再開した印象です。
(福本)監督さんも激しい雨だなとおっしゃっていましたね。

ーピッチャーの大江選手が大変ではなかったですか?


(大江)大変でした。練習試合でも1時間以上中断した試合は経験がなかったので。まあ、野手も観客の皆さんもかなり大変だったと思いますよ。
(福本)その前に2点取られていたけどね笑。
(大江)そうね笑。内心、中止になってほしかった。

ーその後に2回で大江選手は降板になりましたが、心境はいかがでしたか?


(大江)初回交代してもおかしくない状態だったので、むしろここまでよく投げさせてもらえたなと思いました。こんな入院明けの自分をここまでよく使ってくれたなと思いましたね。

ー5回に6-1と離されてはいましたが、その後もランナーをためる場面は見られていましたよね?


(大江)初回もですが、原田選手の守備にやられたイメージが残ってますね。
(福本)西浦直亨選手(東京ヤクルト)も守備うまかったですね。
(大江)その時、センターは中村奨吾選手(現・千葉ロッテ)ですからね。

ー今考えるとその当時の天理はめちゃくちゃ強いですよね


(大江)強いですね。今メンバーを考えると、のちにプロにいく2人と、社会人でも活躍している選手がそろっているので。
(福本)僕たちが3年になって天理と試合をしたことがなかったんです。なので実際に戦ってみて、序盤で強いと感じましたね。
(大江)足がとにかく速かったイメージがありますね。

ー試合後チームの雰囲気はいかがでしたか?


(福本)あまり覚えてないですね。最終回に大杉が2塁打打った時にだいぶこみ上げるものがあって。
(大杉)最後の意地やな。
(福本)そこからあまり記憶がないですね。
(大杉)試合途中から点差が開いていたので、やり切った感はありましたね。
(大江)まあみんな泣いてましたね。僕は最後に奈良テレビさんに泣かされましたね。

ー泣かされた?


(大江)僕は最後まで泣くのを我慢していたんですけど、「待っててくれてたチームメイトや監督に対してどう思いますか?」と聞かれました。色々な思いがこみ上げてきて、そこで初めて泣いたと記憶してますね。
(福本)僕はもう試合中のベンチで泣いてましたね。試合中に泣くなと怒られた記憶もありますね。

ー昨年、対戦した天理の西浦選手が日本一のメンバーになりましたが、日本シリーズを観ていましたか?


(福本)観ていましたね。いちプロ野球ファンとして観ていました。

ー当時の試合の記憶がよぎったりしましたか?


(大江)同じ年代のプロ野球選手も少なくなってきたので、同じ年の選手が頑張っていると思って応援してました。どちらかというと、うれしかったですね。
(福本)でも当時から西浦選手はすごかった。風格が。
(大杉)(3年夏の奈良県大会は)8割バッターやからね。21打数17安打!
(大江)(福本)よく覚えとるなー。
(大江)僕らもよく打ってたもんな。それがかすむくらいに西浦選手はすごかった。
(福本)中村選手もすごかった。二人とも抑えられる気がしなかった。確か決勝は二人に4打数4安打やられたはず。

ー高校卒業後は皆さんどのような進路をたどられたんですか?まずは大江さんからお願いします


(大江)今はごく普通のサラリーマンです。関西学生野球連盟の一つの大学に進みましたが、ケガなどもあり全然ダメでしたね。就職活動をして今に至りますね。

ーどのようなケガだったのですか?


もうボールが投げられない肩になっていました。夏の大会を終えてリハビリ等はずっと続けていたのですが、結局治ることはありませんでした。

ー大学入学後も投げられなかったのですか?


(大江)そうですね。やはり肩が痛くて。投手で入学しましたが、すぐに野手に転向しました。

ー福本さんは?


(福本)僕はもう大学にいって野球はやらないと決めていたので、受験をして大学に進学しました。郡山高校は文武両道なので、野球よりも勉強を優先させたという形ですね。

ー大杉さんは?


(大杉)僕は関西の強豪社会人チームに行きましたね。

ープロ目指していたんですね


(大杉)いえ、僕は中学くらいからプロは諦めていましたね。
(大江)早くない笑?。
(大杉)ただ、野球は続けたかったので社会人の道に進みました。大学進学も考えましたが、いろいろ考えた末にこの道を選びましたね。今はもう引退して、その企業で引き続きお世話になっています。

ー入社してから辞めるまではどういった生活だったのですか?


(大杉)高校3年の1月から寮に入って練習に参加していました。入社後は午前中は仕事をし、午後からは野球をする生活でしたね。

ー1年目からレギュラー取れましたか?


(大杉)いえ、1~3年目くらいは練習試合にも出させてもらえなかったです。高校の時とはレベルが違いましたね。その間はずっと野球をやめたいと思っていました。4年目にようやく試合に出させていただいたんですが、力不足を実感する年になりましたね。

ー高校の時には自信があったと思いますが、それでもレベルが高かったですか?


(大杉)レベルは高かったです。僕たちみたいに公立高校で勉強も野球もしているような人々とは違いました。

ーこの選手すごかったなーと思う選手いましたか?


(大杉)チームメイトでプロに行った投手が何人かいるのですが、球質はすごかったですね。こういう人達がプロに行くんだろうなと思いました。
例えば、高卒1年目の時、のちに広島カープに行った先輩がいたのですが、シート打撃の時に驚きましたね。球速は130キロ台なのですが、低い球でボールになると思った球が最後に伸びてきて、ギリギリストライクに入ってきました。高校生なら垂れる球なんですが。

あとは対戦した中では、現在中日ドラゴンズで活躍されている祖父江投手。あの方のスライダーは体に当たると思ってよけたらど真ん中でした。
祖父江投手筆頭に、社会人の一流投手は全ての球の軌道が真っすぐに見えるんですよね。高校時代には見たことのない球の軌道ばかりでした。

ー高校卒業後に大杉さんと大江さんは対戦されることはなかったのですか?


(大江)僕の大学と大杉のチームの練習試合があったんですよ。ただ、僕は実力不足でメンバーに選ばれなくて。大杉と対戦できなかったのが悔やまれますね。大杉の都市対抗の試合とかは応援に行ったのですが、やはりお互いユニフォームを着て、グラウンドで会いたかったですね。

でも、僕は大杉のことをうらやましいと思っていたのですが、大杉は大杉で葛藤があったのだと思うと人生面白いですよね。

ー最後にお互い聞いておきたいことありますか?


(大江)大丈夫です。別に僕たち仲悪いとかではないので笑。コロナ前などはよくご飯行ってました。また、あの当時の郡山高校野球部が集まって飲みに行けたらいいなとは思いますね。

【奈良県大会2009夏】ヤクルト西浦・ロッテ中村を擁した天理との決勝戦!郡山の選手にインタビュー【あの日あの試合①】

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