奈良県橿原市野球
2022/03/29 11:30
ぱーぷる編集部(喜畑恵太)

「社会人時代に経験した意外な業務とは?」など 元オリックス・バファローズ吉田一将選手インタビュー

【野球】「社会人時代に経験した意外な業務とは?」など 元オリックス・バファローズ吉田一将選手インタビュー

奈良県出身で元オリックス・バファローズの吉田一将選手にインタビュー。
「オリックス・バファローズ時代に関すること」「JR東日本時代に行った業務」「奈良県での思い出は?」などの内容をお聞きした。
※吉田選手が「独立リーグBCリーグ・新潟BC」に入団が決まる前に行ったインタビューになります!

ーこんにちは。まずは奈良県での思い出をお聞かせください。


中3までしか奈良県にいなかったので、ボーイズリーグでの思い出が中心になるのかなと思いますね。

ー野球を始めたきっかけは?


幼稚園くらいから親とキャッチボールをしていました。小学2年生の時に野球をやりたいと親にお願いし、地元の軟式の少年野球チームに入れてもらいました。

ーのちに香芝ボーイズでプレイされましたが、思い出に残る試合ってありますか?


たくさんありますが、近畿大会で優勝候補のオール枚方を準決勝で倒し、決勝で京都のチームに負けたことですかね。あの辺りの試合ははっきりと覚えていますね。
その時のエースが元中日ドラゴンズで現日本体育大学コーチの辻孟彦選手でした。

ーその当時からプロに入るまで辻選手のことを覚えていたということですか?


そうですね。
辻選手が京都外大西高等学校に進学したんですが、当時は1年から甲子園で5勝挙げる投手がいて、影に隠れていたんです。その後に日本体育大学に進学し、4年時に首都大学野球で10勝したんです。
東海大学には現読売巨人軍の菅野智之投手がいたのですが、日本体育大学が優勝し、辻選手がMVPに選ばれたんですね。そのあたりで「あの辻選手よな?」となりましたね。

ー辻選手は小学校の時からすごい投手だったんですね。


当時から体が大きくて、すごい球を投げていましたね。先ほど言った試合で全然打てなくて、大差で負けましたね。

ーその当時から吉田さんはピッチャーだったのですか?


そうですね。あまり器用な方ではないので、硬式になってからは投手一筋です。

ー吉田投手は青森山田に進学しましたが、奈良県から青森山田高校に行くきっかけは何だったのですか?


小学校の時から見て下さっていたスカウトの方のつながりで、青森山田高校に進学することになりました。

ー青森山田時代は控えの投手でした。その後は日本大学に進学することになりますが、卒業される時はプロ志願届は提出されたのですか?


いえ、その時は出していないです。

ーそうなんですね!その後にドラフト1位指名される選手なので驚きです。大学卒業後に進んだJR東日本で大きな転機があったのですか?


大学生から社会人になった時に、この2年間で「絶対にプロに行く!ドラフト1位でプロ入りする!」という強い思いで、いろいろ教わり今までで一番成長できました。
強い気持ちがそうさせたのかなと思います。

ー投げ方を変えたとかなどのきっかけがあったのですか?


大学時代はスリークォーター気味に投げていたんです。ほぼサイドに近い感じで。それをオーバースローに変えたら、それがはまったって感じですね。

ーJR東日本に所属していたということは駅のホームに立たれたりされたのですか?


シーズンオフに実習みたいなのがあるんですね。それで駅員としての業務はやりましたね。
自分は品川駅担当だったのですが、泊まり込みで始発対応を行ったり、終電対応もしましたね。
酔って寝ている人がいれば起こしたり、電車に誰も残っていないのかとかの確認をしました。

あとは電車にも乗りましたよ。車掌さんや運転手さんの横に立ってですが、すごい緊張感でしたね。時々問題になる居眠り運転とかスマホを触ったりなどできる雰囲気ではなかったです。社会人としていい経験をさせてもらいました。

【野球】「社会人時代に経験した意外な業務とは?」など 元オリックス・バファローズ吉田一将選手インタビュー

ー1年目から活躍されることになりますが、初登板の時はいかがでしたか?


4回と2/3に変えられてしまって悔しい登板でした。
もう少し投げさせてもらいたいという気持ちもあったのですが、次に準備して頑張ろうという気持ちが強かったですね。

ー吉田選手はプロ3年目から中継ぎ登板が多くなりましたが、戸惑いとかはなかったですか?


あまりなかったですね。
シーズン前は先発として準備していたのですが、あの時は中継ぎが打たれてチーム事情がよくなかったのを覚えています。

ファームでは先発登板をして抑えていたのですが、急遽中継ぎ投手として4月の中旬くらいに一軍に上がりましたね。その後も一年を通して中継ぎ登板しました。

先発、中継ぎをそこまで気にしていなかったですね。
プロ野球選手は試合に出てこそという思いがありましたので。その時に年俸も上げていただいたので、うれしかったですよ。

ー昨年プロ8年目で初めて一軍登板なしでした。二軍でも思ったような成績が残せなかったですが、ケガとかされたのですか?


シーズン序盤はケガはなかったです。どちらかというと自分の中の感覚がズレている感じでした。自分でもこれでは一軍に上がれないだろうと思ってましたね。
9月に感覚が戻ってきたなと思った頃に、首を寝違えてしまったのが痛かったですね。

ーその後に戦力外通告を受けて、トライアウトにも参加されましたが、NPBの球団からは声がかかっていないですか?


そうですね。

ー今はどこで練習をされているのですか?(のちに独立リーグBCリーグ・新潟BCに入団)


近くのグラウンドであったり、後輩が野球教室をしているので、そこで練習させてもらっています。

ー先ほどもおっしゃっていた感覚は取り戻せてきましたか?


戦力外通告を受けた時から、丸々2か月くらいあったので一度リセットしました。投げ方の動画を撮ってみたり、いろいろな工夫をしていくうちにだいぶよくなってきました。

今年1月のオフには埼玉西武ライオンズの十亀投手に自主トレに今年も誘っていただきました。その時も十亀選手にアドバイスをいただきました。
こうして1つ1つ課題をクリアしていくうちに、今ではトライアウトの時よりも、より戻ってきたかなと思いますね。今では指のかかりなどは精度が上がってきましたね。

ー吉田選手はプロに入って奈良県で登板されたことはありましたか?


オリックスの二軍の時にあります。
凱旋登板とのことで投げさせていただいたのですが、全然ダメだった記憶がありますね笑。散々でした。

ー1日でも早くNPBに戻れることを祈っております!まだまだお若いので、今後もプロで活躍し10年後くらいに奈良県の学校などで監督をされることを期待しております!


【野球】「社会人時代に経験した意外な業務とは?」など 元オリックス・バファローズ吉田一将選手インタビュー

笑。
まずは7月末の支配下登録期限までに全力で頑張ります。

ー最後に奈良県の方々にメッセージをお願いします


奈良県出身のプロ野球選手は昔から多い印象があります。僕も出身地なので、少しでも奈良を盛り上げたいと思います。ゆくゆくは奈良県でも一軍の試合が開催されるように自分が頑張って活躍し、実現できるようにしたいですね。

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